今回はちょっと語りを。
たまに聞いてくださることがあるので、ちょっと書いてみます
店主メカタはいかにして自転車屋になったのか?
店主メカタは、好きが高じて仕事になった典型的なパターン。
自転車が好きで仕方ない「自転車バカ」なので、いつでも自転車を触っていられるように、自転車屋さんになりました。
終わり。
これだと、短っ! すぎ
なので、もう少し。
自転車を触るようになったのはなぜ?
かつて、メカタは本当にただの自転車好きでした。パンク修理とか、カンタンな修理くらいはするものの、整備は自転車店任せ。難しいことは自分ではしないタイプだったのです。
自転車好きが、自分で自転車を触らないでいるには条件があります。それは近くにいい自転車店があること。幸いにもそれなりに近くに信頼できる自転車店が2店舗ほどあり、完全にお任せしちゃっていました。
そのうちの1店舗は、京都で「空井戸サイクル」を営業されていた雨森無我さんが当時働いておられたお店。メカタは今も勝手に「師匠」と呼んでいまして、いろんなことを教えてもらっています。
で、もう一店舗。そのお店が移転することになり、信頼していた方は辞めてしまわれました。「でもまぁ、引き継がれているから大丈夫だろう」と、移転後のお店に愛車の修理をお願いしに行ったのです。そこで残念ながら非常に信頼を損なうことがありまして、「もう2度と自分の大事な自転車を、この店の人に触らせたくない」と思ってしまった。
その事件以来、店主メカタは「基本は何でも自分でやる」タイプの自転車好きになったのです。
反面教師にしなければ
この時のことは、今でもすごく反面教師にしていまして、「ああいう対応だけはすまい」という方向で、侍サイクルの店作りに生きています。
またこのお店、移転前はとってもいい雰囲気だったのですが、移転後はたとえば駐輪場がないとか、店内に整備を待つスペースもなければ、近くに店もないとか、立地が試し乗りできるような環境じゃないとか、「?」と思う部分が多々ありまして…
その点でも、もしかしたら反面教師になっているのかもしれません。
紆余曲折あってこうなった
それから紆余曲折ありました。
京都から滋賀県彦根市に引っ越し
自転車に関係する仕事をして、資格を取り
そんでもって、自転車店を開くという。
まぁ間は語れば長いんで、またの機会に。
とにかく、趣味と自転車愛が高じて、自転車屋さんになったというお話でした。
理想の自転車店はどんな店?
店主メカタ、ただの自転車好きって時代が30年ほどありましたので、その間、実にいろんな自転車屋さんに行きました。
好きな店、嫌いな店、いろいろ。
それぞれのお店に、いい部分もあり、悪い部分もあります。そのいろんなお店から「いい部分」を抽出して、メカタが好きなテイストをまぶしたのが、侍サイクルってわけです。
これまで通った自転車屋さんを、いい意味でも、悪い意味でも参考にして、「こうだったらいいな」「ああいうのはヤだな」ってのを取り入れてるってことです。まだまだ理想には遠いですが、それでも日夜少しずつ「理想のお店」に近づきたい! と思っています。
もちろんこの「理想」は自分たちの中にあるものですので、万人の理想ではないのですが…
そしていつも心にある理想の自転車店であり、自転車屋さんはやっぱり、マンガ『アオバ自転車店』シリーズの「アオバ自転車店」。こんなこと書くと、作者の宮尾岳さんに嫌がられるのですが、このマンガをずっと読んでいたからこそ自転車屋になりたかった。今でも店主メカタはそう言っています。
だから、いつでもアオバ自転車店を目標に。そしてこの店を切り回す「峠工一」さんを心の師匠として、しっかり進んでいきたいな。そんなことも思うのでした。
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