先日、「筋肉少女帯」のライブに行ってきました。
メジャーデビュー35周年記念ツアーなんですが、35年か…
最初に筋肉少女帯に出会ったのは自分が中学2年の時だから、やっぱり35年くらい前か。
クラスメイトのヤマノくんが「深夜放送聞いてたら、すごい歌が流れてきた!」と。
彼から聞くに曲のタイトルは『キノコパワー』。バンドの名前は筋肉なんちゃらかんちゃら…
それを頼りに二人で地元の小さなレンタルCD店に行き発見したのが、
「筋肉少女帯」のセカンドアルバム『SISTER STRAWBERRY』。
ジャケットの裸の女性が少し気恥ずかしいもののそのCDを借りて帰った。
すごかった。ハードで重厚な音楽に、不穏で奇妙な世界観の歌詞。
それまでの自分にはまったくない、何かわからないものでドカンと殴られた。
まさに彼らは僕にとって『中二病の神ドロシー』
特別に音楽に詳しいわけじゃなかったし、バンドなんかもよくわからなかったが、
筋肉少女帯だけは聞き続けた。特に大槻ケンヂ氏の歌詞に大きく影響を受けて学生時代を過ごすこととなった。
そんな学生時代を過ごして来たら、そりゃこんな陰キャなおじさんが出来上がるってもんですよ。
なんの不思議もありゃしません。
その話はいいとして、
で、ここからがようやく本題なんですが。
長いね。枕が。すいません。
今回のライブで『50を過ぎたらバンドはアイドル』という曲がかかりまして。
この曲、ざっくり言うと50歳を過ぎたロックバンドというものの不条理さや矛盾を
「アイドル」というファンタジーに変え、年老いたバンドと観客を共に次のステージへと進ませる内容の歌詞なのですよ奥様。
そりゃあ、冷静に考えれば高齢者ロックには矛盾がありますわな。
本来若者の音楽であるはずのロックを、アラ還の人たちが歌い奏でる。
「大人は信じられない。大人になんかなりたくない」なんて歌う本人は、その「大人」よりはるかに年上。
どっちかと言えば、おじいちゃんの方が近い。
じゃあ、ダメなの? 50を過ぎたらロックバンドは嘘なの?
そんなことはないんだよ、50には50のロックバンドの姿があるわけです。
過去に叫んだ「怒り」や「反抗心」は遠い日の思い出となり、もはや記号となったステージ衣装を見て安心する観客。
演者と観客が同じ幸せな幻想を見る。欺瞞でもなくペテンでもない。
先週のブログから同じような話になるのですが、
20歳には20歳の、50歳には50歳のバンドのスタイルがあるように、
自転車との付き合い方も、
若いときには若いときなりの、年老いてからは年老いてからの、
今の自分の年代にふさわしい、自転車の乗り方やスタイルがあると思うのです。
若いときには速さや距離などの数値を追い求める走り方も良し。
エクストリームなライディングに酔いしれるもまた良し。
でもだんだん、そんなこと出来なくなってくる。思った通りの速度で走れないし、危険なことも怖くなる。
遅いし、遠くに行けないし、スリリングなライディングも無理無理の無理。
でも、またそれも良し。すべて良し。
速さという指標を捨て、距離という重荷を外し、そもそもの自転車のプリミティヴな楽しみに回帰していく。
そんなことでもいいじゃない。
もちろん、年老いたなりに自分の限界に挑み速さと距離を追い求める。
そんな乗り方もありじゃない。
どちらもどちらで、ファンタジーであり現実でもある。そんなふうに感じます。
過去があるから今がある。
そして、過去に意味づけできるのは今だけ。
全部あなたの素晴らしい人生。今の楽しいライディングタイムはあなたが自分作り上げたもの。
だから自信をもって、目いっぱいペダルを回してください。
思いっきりサドルの上で楽しんでください。
というわけで皆さんレッツ、サイクリング